☆☆Once in the life-time meeting☆☆~一期一会~

令和元年から令和3年8月までに書いた記事です。ここに書かれた内容の中に、少しでもお役に立てることがあれば嬉しいです☆officeきらほし☆

一病息災☆

これは鍼の先生から教えてもらった言葉なのですが、

無病じゃなくて、一病息災(^^)



自覚症状はあったものの、

自分の身体の不具合を病名としてようやく発見してあげられて、


そしてちょうどまるまる2年、

鍼治療をしてもらい続けた結果、

今、その言葉の本質が実感として、

わかるようになってきた気がします(^^)




極個人的見解ですが、




わたしもまさにそうでしたが、

まるまる健康(と思って疑わないくらいの状態)なときには、

意外と人は、

特に「ケア」ってしないものかも。。。



むしろ、

気持ちのままに、

やる気のままに、

若さゆえ?



気づかず身体を奴隷に(!)してしまっていたりする。。。

しませんか?!



わたしはそうでした。

それこそ、

「食べて寝てりゃ大丈夫」くらいの認識でした。




多少の不具合があっても「こんなもんかな」と日常的にやり過ごしてしまったり、

(だって忙しいからしょうがない・そうはいってもなかなか難しいよね、みたいな変な開き直りとか)


身体にとってすごくよさそうなサプリなんかを(たぶんそのときの自分に絶対的に必要だったはず。。。)、

縁あって飲んでみるも、

一ヶ月くらい飲んでなんとなく飲まなくなってしまったり、

(これ、自分の不具合をそもそも実感してないからだよね、だからよくなるもならないも、なんとも感じられない。。。)


ストレスがこんなにあるのに、食べてごまかしてしまったり(笑)

(いや、(笑)じゃないよねこれ!)




とにかく自分の、

「これやりたい、あれやりたい(だって生きているんだもの!)」

「こうしなきゃ、ああしなきゃ(だって生きていかなくちゃだもの!)」

を、


「身体がみんな受け止めてくれている」


なんてことは、

知りもせず、

これっぽっちも信じられず、



でも自信満々でした。



そしてあるとき、

「あ、これ休まないとだめかも、というか身体動かないけど?」

となって初めて、

「これどうにかしなくちゃかも」

というところに立てる。。。



でも、この時点でも、

「一病息災」までの道のりにはまだある。。。



治療を始めた頃は、

「この不具合を治したい(いろいろ辛いから)」

しか、ないんです、頭の中。




でも、

わたしの場合はこれが2年かかったけれど、

「不具合以外」の、

全体の身体の流れがなんだかよくなってきたな、と実感する頃、


この「一病息災」の本質的な意味がよくわかるようになりました。




一つなにか身体の不具合、いやもう病気でもいいです、

を、その身に抱えると、

人はまずその「原因」を考えるんですよね。


(考えない?)



「どうしてこうなるに至ったんだろう」って、

初めて自分の歩いてきた道を振り返るんです。




もしもここで。。。

たとえばわたしが「西洋薬大好き!」とか、

今はこんな簡単に⚪⚪してしまえるから楽だよ~~(すぐ治せるんだよ~~)

といった具合に、



その不具合・病気一点集中で、

「そこだけ」「なんとかしよう」という方向でいくと、

一時的には不具合・病気が「なくなった」ように思うんですけど、

全体がよくならないと、

また同じことになってしまうかも。。。



その不具合・病気を「生み出した」のは、

「そのときの身体全体のシステム」だから、

局所的になくしてもまた再生してしまう。。。


だから、

今のどんな身体の流れがシステム異常を起こしてしまったんだろう、という観点、

「原因」に照準を合わせることが、

「一病息災」の本質に通じるルートだと思います☆




そうするともう、

どうしてもここに行きつくことになります。。。


「血流」。



(そもそも血が足りてない、なんてこともあるかもしれません、そしたら補わなければ。。。)




適度な濃さの血液と新鮮な酸素が、

適量、適当に絶えず流れ続けている、


という状態が「まずゼロ地点」と気がつくんです(^^)(これ、もう絶対避けられない。。。)




そうすると、

そこをそうしておくにはなにが必要なんだろうと、

また発想が出てくる。。。



なにが「流れを滞らせているのか」は、

人それぞれなので、

ここでまた初めて、

その人なりの治療や改善策が出てくるわけなんですよね(^^)




それをやっていくと、

局所的になんとかしようとしていたそこは、

自然に、

勝手に?

正常な状態に「戻ってゆく」のだと思います。

細胞がそれを「記憶」しているから☆



むしろ細胞ははじめから、

そうあろうとしているのだと思います(^^)

そういう風に、

太古の昔から、

記憶されていて(それが遺伝子というやつなのかな?わからない(^^)すみません(笑))、

それが今わたしたちを生かしてくれているんですよね(^^)



微生物のころから、

そのシステムを伝え続けてくれていて、

ほんとうは、

それが当たり前で、

自然なカタチなんですよね(^^)

そう進化してきた。。。(^^)




でもそれが、

なんらかの原因で「できなくなって」しまったとき、

伝達がうまくいかなくなってしまう。。。



伝言ゲームで最初と最後が「なんでこれがそうなったん!!」というくらい違ってしまうように(笑)



そうならざるを得ない、やむを得ない別のシステムを、

細胞がプログラミングしてしまう。。。

いいも悪いも、

細胞は生きていて。。。




でも人って「無病(と認識してる)」のときには、

そういうことを考える機会すらないのかもしれません。。。(わたしはそうでした)



一つのなにか不具合・病気をきっかけに、

身体の仕組みについて初めて考えて、

健康な状態(本来の状態)とはどういう状態なのか、

知ることになって、

そこに「戻そう」とする。。。



そう、

「本来はこれが当たり前なんだ」というところからスタートさせるのが、

いいのかもしれません(^^)



いい血と空気を身体全体に行き渡らせる、

ここがゼロ地点、

それをできなくしてしまっている原因はなにかを考える、これ治療法と改善策のスタート、といった具合です(^^)



そうして身体全体がよくなってくると、

たとえば、

不思議なことに、

今度その不具合・病気自体にある意味、

こだわらなくなってくる感、すらあります。



「あぁ、ここはわたしのこういうクセなんだな」



というように、

そこはそこでよし、みたいなアタラシイ発想すら出てきます。



たとえば、

黄色とブルーを混ぜてグリーンになってしまった絵の具を、

元の黄色とブルーにまた分離させることってたぶん、

もうできないと思うんですけど(笑)、



そういうことみたいに、

ここはじゃあもうグリーンとして生きていこう、みたいな(笑)



でももしかしたら、

全体がよくなってくると、

元の黄色とブルーには分離できなかったけどなんだか透明になってきたよ?みたいなことは可能かもしれない。。。


矛盾するようですけど、


そしたら、

イメージ的にもなんだか流れる感じ、あるんですよね(^^)




そんな感じで(どんな感じ?(笑))、

「無病」では気がつかなかったことが、

「一病」をきっかけに、

「人の本来の状態」を思いだし、

そのシステムを正常に「戻そう」とする行動(これまた祈りですね(^^)前回記事にまたも繋がりますが)へと繋がるわけですね(^^)



ともあれ。

「いや、一つ悪いとこあると大事にしようとするからいいんですよ」

くらいにサラッと言った仙人先生はすごいと思いました(笑)




今日はおついたちですね☆

またアタラシイ月、

そして2019後半も、

休み休み、

楽しみ楽しみ、

凸凹道も坂道も、

それぞれのペースで、

でもいちいち本気で、

たまにとぼけて、

真っ直ぐでも寄り道しても、

とにかく前へ前へと、

歩いて行きたいですね~(^^)

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have a nice day !