機嫌をとらなくていい理由☆
今から10年近く前に、
わたしは、
「人の(相手の)機嫌をとるようなことをしては絶対にダメだよ、自分の機嫌をとっていればいいんだよ」
という考え方に、
知識として触れました。
今考えると、
それは、
ざっくり、
「自分を守る」
という意味のことだと「認識」してきたのだと思います。
要するに、
「不機嫌にひっぱられない」
だとか、
「相手の不機嫌の波動を受け取らない」
ための、
絶対的に大切な方法なのだと、
認識してきたのだと思います。
相手は相手の都合で機嫌が悪いわけで、
それは相手の中で起きている問題なのだ、
(だからそこにエネルギーを注ぐようなことはしないで、ほっといてあげればいいのだ、的な(笑))
という、
一種の切り離しみたいな感覚で捉えていたのだと思います。
それが、
10年近くの時を経て、
この、
つい3~4日間に、
なぜかはわからないけれど、
その観点がガラッと変わってしまうことになりました。
結論から言うと、
「不機嫌」と捉えていた相手は、
果たして本当に「不機嫌」なのだろうか?!
という発想が、
なんとなくハッとやってきた、ということなんです。
これ、
その人にとっては別に「不機嫌」でもなんでもなく、
ただただ、
切ないくらいに純粋に、
「全身全霊で自分を生きている」
だけなんじゃないだろうか?と。
むしろ、
その人は、
今まさに自分を開放しているのではないか?と。
子供の頃は(本来は)、
わりと否定的なことも、
なんの悪気もなく素直に表現しますよね、
それも全身全霊で。
(ここでは「いや、わたしは幼いころからそういうことを言えない(言わない)子でした」とか、そういう話はまた別問題として(笑))
それって子供にとっては、
喜びとかワクワクと、
まったく同じ類いのエネルギーなんだと思うんですけど、
それがなぜ受け入れられるかといえば、
大人は誰も、
子供に「空気読め」みたいなことを求めていないし(笑)、
(「いや、わたしはいつも家族の顔色を見ていて」みたいな話も今はまた別問題として。。。(笑))
教育として、
こういう言葉を使うようにしなさい、こういう言葉は避けなさいということを、意図的に教える場合はまた別として、
それが、
「その人(子)の魂なんだな」
ということを、
本能的に受け入れているから、
それを特に問題にしないのではないかと思うんです。
でもそれが、
大人のすることとなると、
「なんでこの人は今それ言うんだろう、⚪⚪でいいだろう!」
みたいなことになってきちゃうんだと思います。
みんなそうかはわからないけれど、
人には人の、
「平和・幸せとはこういう感じ」
という、
イメージや定義みたいなものを、
持っているような気がします。
わたしには、
特に強くそれがあったのかもしれません。
「こういうのが平和」
「こういうときはこんなふうに空気を和ませたい」
などなど、
逆から言えば、
「こういうのは幸せじゃない」
という「感じ」が、
認識としてガッチリインプットされていたのかもしれません。
でも実はその認識自体が、
むしろ自分にストレスを与えていたのかもしれないと、
なんとなくハッと気がついたんです。
喜びやワクワクを素直に表現しているときには、
「本当に純粋・素直だなぁ」
と、捉えられるのに、
それが否定的な言葉や不満なんかだと、
「なんで不幸を呼び込むんだ」
みたいな受け取りかたになってしまったり、
ブスッとしているだけで、
「空気悪いなぁーー。。嫌だなー。。」
と捉えて、
なんか「フォロー」してしまったりする。。。
「でも⚪⚪でよかったよね~」
とか、
「そうだよね~~わかるわかる~~」
などと、
「これ以上広げるなよ」的な攻防が、
心の中で葛藤していたりして(笑)
そのとき、
その相手を「不機嫌」と位置づけしてしまっているのは、
他ならぬ自分で、
それによって、
相手の純粋な魂の表現を、
これ、立派に否定しているんですよね。
相手の発しているものが、
たとえポジティブなものではなかったとしても、
それも正真正銘その人の魂の表現なんですよね。
そういうふうに、
まっすぐ自分を生きているから、
むしろその人ハッピーなんです(笑)
まぁ、ハッピーと感じていないにしても、
少なくとも、
自分を開放して自由に生きているのだと思います。
その人には「自分が不機嫌である」という認識は、
たぶんまったくないのだと思います。
そう考えると、
相手の機嫌をとらない理由って、
相手の不機嫌をもらわない、とかではなく、
そもそも相手を「不機嫌」と位置づけている、
自分の受け取りかたの問題なのだということが、
わかってきたんです。
自分の中の幸せの定義をちょっと外すというか、
自分には受け入れ難い言動が相手にあったとして、
(もちろん「程度」はありますよ、絶対にいけないことはあります)
その空気・波動を、
「自分の考える幸せ」へと持っていこうとすると、
なんかこう、
こんがらがってしまう。。。
でも、
「あ、この人は今、自分を開放しているんだな」
と捉えれば、
喜びも否定的も、
おんなじ魂の表現です(^^)
※常にとめどなくネガティブ発言が止まらない、というような場合はこれ別次元で、特別な対応・対処が必要です。
でも、
自分も同じようにするかどうかは、
いいんです、
別問題で。
あくまでもポジティブ表現に生きてもいいんです、
ブスッとしないほうが、相手にとってもいいに決まってます(笑)、
でも、
相手の魂の表現を受け入れられるだけで、
自分の生きている世界が変わります☆
「不機嫌な人」という認識がなくなるわけですから、
当然、
「顔色を見る」だとか、
「機嫌をとる」という行為・価値観がなくなります。
わたしはわたし、あなたは勝手にやって、というような話でもなく、
なにか世界がグン!と、
また、まぁるくぼわん!と広がる感じですね(^^)
また、
自分にとっても、
「これくらいゆるくていいんだよ」と教えてもらっている気もします(^^)
「素直」や「純粋」って、
時に台風のように、
盛大なエネルギーをもってこちらを揺さぶってくるけれど、
すごく命のほとばしりを感じるし、
やっぱりなんだか、
スッキリさっぱりしているんですよね☆
透けて向こう側が見えるくらいに、
透明感があります(^^)
have a nice day !