☆☆Once in the life-time meeting☆☆~一期一会~

令和元年から令和3年8月までに書いた記事です。ここに書かれた内容の中に、少しでもお役に立てることがあれば嬉しいです☆officeきらほし☆

「体力」半分「時間」を使う☆

みなさまこんにちは!
office きらほしです☆ミ


暑いですね~!


暑いというだけで体力を使う夏、
みなさまは一日一日をいかがお過ごしでしょうか☆



わたしは今、
気持ちはGOGO、
ですが身体は省エネモード、
です



先日から書いているのですが、
ここ最近、

「気持ちと肉体は確かに繋がっているけれどそれぞれが独立している」ということを、
より鮮明に把握できるようになってきました



わたしは基本的には、
常に気持ちはワクワクしていて、
あれしたい、これしたい、
これしちゃおう、ここはこうしておきたい、
という理想のイメージがハッキリしています


ハッキリ見えているので、
その状態にしようと実際に行動しようとするのですが、


45年も肉体を使用し続けていると、
肉体の主張がものすごく強くなってきます


あなたの希望はわかるけどわたしを酷使するとこうなるよ、と、
「もっとわたしのこと考えてよアピール」
または
「これ以上やりたくないのアピール」が強くなってきます



この物質世界は、

まず気持ちが脳に望みを伝達して、
脳が肉体に指令を送り、
肉体がそれに従うわけですが、


肉体の使用年数が重なってくると、
まるで頑固なおじいさんのように、
いやだと言ったらいやみたいですね(笑)、
それはそれはすごい重力で抵抗してきます


はて。
そうは言っても
「こうしたい」に従わないで生きることは本能が許してくれない。
どうしたものか。



まずひとつには、
「理想を妥協する」という対策がありますよね
それが理想だけどこれでもいいんじゃない?と、
こだわりを手放すという。
これ、柔軟な対応です


そしてもうひとつ、
やっぱりその状態にしたい!
と、どうしてもそこは譲れない場合。

そんなとき、
この頑固なおじいさんのような肉体とどう折り合いをつけるか。



そこで思いついたのが、
もうひとつの次元に存在する、
「時間」という神様のような存在を大いに受けとるということでした



人って無意識に、
「生産力」をあげようという意識がどこかでみんなにもれなくインプットされてしまっているのでしょうか、

若いときほど、
肉体、体力ばかりめっっっちゃ使って、
時間を使わない、
という方向性で生きていませんか?

要するに短時間で大きな成果を出したり、より多くのものを得ようとするようような。


たとえば旅行のガイドブックなら、
一日でこれだけまわれる!
たった一日で⚪⚪を遊び尽くす!
みたいなことに似ていますかね


でもわたしはそれを、
逆方向に向かって捉えることにしたんです


「時間」を使わないのではなくて、
「時間」を大いに使う!
「肉体(体力)」半分、「時間」を倍、使う。


一日でできることを二日かけてやるんです。


そう、会社で言ったら
「あなたそれ失格だよ」にあたる、そこです(笑)
(会社はその逆ですね、一日でできることを半日でやる(笑))


人生においては、
生産性、効率高めなくても失格されないしもちろん減給も解雇もないんですよね(例えです)

時間をかけることで、
むしろ余裕、豊かさが何倍にも増すことがあります。


たとえば今日はお掃除しようと思ったら、
以前は、
掃除機、床の水拭き、棚の拭き掃除、そして御手洗い掃除と、全部一気に済ませていたんです。


そしてアドレナリンが出てくると(笑)、
それから買い物に行って夕食を作る、
までいっちゃったり。(これ当たり前?(笑))



でも、
その翌日は疲れて一日グッタリ、みたいなことになっていました。



でも先日、こうしてみました。



今日は掃除機と床の水拭きだけ。
で、まだできるところをもう掃除には使わずに、
趣味に使って体力を温存&チャージ。


で、次の日にまたいで掃除の続き。
棚の拭き掃除と御手洗い掃除。
そしてやっぱりまだ体力があるところをまた趣味に使って温存&チャージ。


そうしたらその次の日、
以前なら疲れて諦めていたであろう楽しみを、
自ら取りに行くことができました(LUCKY!)



それでまたチャージされて。。。といった具合に、


時間を贅沢に使うことで、
肉体にはエネルギーをチャージ、

肉体も消耗しているけれどチャージがその1.5倍くらいで常に少し余力がある(もっと増やすことも可能だと思います!)



というイメージ



肉体、体力には確実に限りがあるけれど、
時間だけはすごくたっぷりあるんですよ、
考えたら。
いや、たっぷりというか、
ほんとうは永遠にある(笑)

「時間」自体は、
宇宙と一緒で限りがない。

限りがあると思えてしまうのは、
そこになにか縛りをもたらすような「枠組」があるからかな。。。

「納期」とか、
「今日から3連休」とか。

この時間内にこれだけのことをやる、
もしくはこれをやりたかったらこの時間内、という「枠組」。


でもそれは何かを前提とした枠組の中での話で、
人生全体にもおなじ価値観を持ち込んでしまったら、
肉体がとても早く消耗してしまうよな、と。



今日一日でできることを明日まで使う。。。
贅沢ですよね
でも時間は何日使っても無料です(笑)


時間は無料。。。
基本料金が「肉体」の宇宙Wi-Fi、みたいな?
生きてさえいればいくらでも使える。。。
(ちょと違うか!)




そういえばむかし、
運転好きのわたしの姉が、
どこか目的地に行くときに、
自分の知る最短ルートで行けないと、

「わたしとしたことが!」

「わたしは損はしたくないのよ!」


と、話していたことがありました




損。。。
ガソリンなのか時間なのか労力なのか、
きっと姉はなにかを失った気持ちになったのでしょうね。。。





ま、これは余談なんですけど(笑)






時間を大いに使うことで、
わたしは身体にエネルギーをチャージできる、
と、わかってきました



またそうしていることで、
自分にとってエネルギーとなること、もの、
そしてさらに時間が、
また受け取れるみたいだ。。。ということを感じ始めています




言ってみればこれこそ効率的
無限大循環システム。。。




豊かさって、
永久に継続できる循環システムのことなのかもしれないですね



そのためには
「ゆっくり」なのかもしれないですね




ゆっくりしてると失っているような気がするかもしれないけれど、
実は増えているのかもしれません



何十年後まで見据えた今のゆっくり。



時間を贅沢に使って、
チャージして、
肉体、長もちさせたいですね
これもう本能ですね




そうそう、
あと当たり前のようですけど、
肉体ってほんとに食べないと動かないのね(笑)




おいしい!と感じられるのも肉体あってこそ。





肉体をもって物質世界でシアワセを感じて生きる、





わたしの場合、
今やっとスタート地点に立てた気分です(笑)



have a nice day !

and stay healthy !