☆☆Once in the life-time meeting☆☆~一期一会~

令和元年から令和3年8月までに書いた記事です。ここに書かれた内容の中に、少しでもお役に立てることがあれば嬉しいです☆officeきらほし☆

衣類の整理整頓で感じたこと☆

今日もキラキラ輝くみなさんへ!
こんにちは!office きらほしです☆ミ


お元気ですか?!



さて。
こんまりさんのYouTubeを見てわたしに起きた変化・気づきを書いてみます。

わたしは、自分では整理整頓がすごく得意だと思っていました。家の中がモノで溢れているということもなく、あるべき場所にあるべきものがちゃんとおさまっている…

でも今日、わたし的にはじゅうぶんに整理されていると思っていた衣類の引き出しを、こんまりさん方式で改めて整理し直してみました。旦那さんのからわたしのから、みんな。

そうしたら…愕然としました。

丁寧に丁寧にひとつひとつコンパクトにたたんで行くとですね…こんなことに気づいたんです。

「わたし、ザッとたたんでバサッと仕舞ってたやんけ!」

たしかに、たたんで整理はされているんです。まったくグチャグチャとかじゃない。立派に整理されている。

でも整理し直したあと、それがとても「雑」だったことに気づいたんです。

イメージ的には「たたむのってパッパッパー、整理なんて簡単」という雰囲気が出ていた。というか、そういう雰囲気で溢れていた。

そしてね、こんまりさんの片づけ方式の基本中の基本である「そのものに対するトキメキ度」を感じてみたら、これまた…

「ないから捨てないモノばっかりやんけ!」

衣類って、ザッとたたんだだけだと「そのモノにトキメイているかどうか」って全然気づかずスルーしてしまうものだとわかりました。

それを丁寧にコンパクトにたたんで行くと、そのモノに対する自分の気持ちがすぐにわかりました。これはビックリするほど明確にわかりました。

丁寧にコンパクトにたたんで行くとき、まずそのモノをよく触りますよね。そのほんの数秒間の過程で、自分がそのモノにトキメいているかどうかがハッキリとわかりました。

気に入っているもの・トキメイているものは、たたむ時に無意識によく触っちゃう。無意識に手でギュッと包んだりしてる。そして無意識に「あぁ、好きだなぁこれ」と感じている。でもそうでもないものは、あまり触れないでザッとたたんでいることに気がつきました。ほんとに「たためばいいでしょ」的な雑さ。

こうしてほとんどが、そのように仕舞われたモノ「ばかり」だったんです。そのことに愕然としました。

これは衣類に関してですが、持っているもののほとんどに対して、つまりわたしは「愛」がないとわかったんです。引き出しの中が「愛のなさ」で溢れていた。

もう「お疲れさまレベル」のものもいくつもありました。「でも今、ないと困るからなぁ」という理由でそこにあるモノ。それがすごく適当にたたんである…悲しいですよね。

整理整頓て、ただたたんでスッキリおさまっていればいいということじゃないな、とわかりました。自分のそのモノに対するトキメキ度、要するに「愛」があるかどうかを試される行為なんだと思いました。

これまでのは整理というか、単にこれはここ
これはここと「分類」されていただけでした、今考えると。「整理整頓」と「分類」は、似ているようでまったく意味が違う…

分類は、愛がなくてもできます。ただ分けるだけだから。でも整理整頓は、そこに愛が存在するとわかりました。それが、丁寧に丁寧にコンパクトにたたんで行く過程で生まれるんです。

それでも触っていて「うーん…」とモヤモヤしてしまうモノは、手放した方がいいのかもしれません。

そこでもし「お疲れさま」することに罪悪感が沸いてきたときは、なぜそう感じるのかを自分の心に聞くことなんだと思います。モノというより、結局自分の心のモンダイ…

たとえばかわいそうだと感じたなら、昔自分が大切にされなかったという思いがあるとか、誰かに捨てられたと感じた経験があるとか…

または誰かのために自分が背負ってしまう癖があるとか、自分のシアワセを後回しにする癖があるとか、そういうことも見えてくる…

「捨てられない」はけっこうな深い原因が絡んでいますよね…

そこでキッパリ「自分は自分のシアワセを選んでいい!」と思えるかどうかが、この先シアワセに生きて行けるかどうかの大きな分かれ道になるような気がします…「捨てる勇気」ですね。

「誰かを助ける前にまず自分を助ける」というのと同じで、その準備・器がないのにすることじゃないっていうこと、たくさんありそうですよね。

人はどんどん進化するから、価値観が変わってしまうのは仕方がないこと…だから「捨てる」ことは避けられない道なのかもしれません。捨てなかったら前に進めない、生きて行けないんですよね…

そしてその時その時の自分のシアワセを選んでいいと、それを許すことが自分の課題なのかもしれないな…と思ったり。

だって「捨てられない(捨てちゃいけない)」の先には「だって地球が…」まで行っちゃいますから、そうしたらもうゴミ一つ捨てるたびに罪悪感を感じてしまう…いや、実際にそういうところありました。「このビニールはたったこれだけで捨てられてしまうのか(苦)」とか…辛いよね、これって。いや、こんなこと考えてたら一日も生きていけないから…(!)


いやー、整理整頓、深いですね!(空気を変える)


せいぜい引き出し6段分くらいで、どこを開けてしまったんだというくらい沸き出て来ちゃった感じです、もわぁーーーーーっと(笑)

まさか整理整頓されていると自負していたところから、こんなモワモワが沸き出てくるとは…ほんとうに驚きです。ほんとうに「まさか!」です。

もっともっと愛の暮らしをしよう。そして捨てる時の罪悪感をもっともっと手放して、今の自分のシアワセを選ぶことを、もっともっと自分に許そう。


今日も訪問してくれて
最後まで読んでくれて
本当にありがとうございます

そしてみんながますます
自分らしくhappyでいられますように☆ミ