☆☆Once in the life-time meeting☆☆~一期一会~

令和元年から令和3年8月までに書いた記事です。ここに書かれた内容の中に、少しでもお役に立てることがあれば嬉しいです☆officeきらほし☆

小さく集中・大きく波紋☆

みなさん、こんにちは!

office きらほしです☆ミ




最近2日ほど、
徒歩2分のところにあるスーパーに
歩いてお買い物に行ったのですが、



歩いて目的地まで行くって、
地上で生きている実感がすごくわきます(*^^*)




同時に、
車って、
ワープなんだな、と思いました(笑)





同じ駐車場に到着しても、
普段車で訪れるときには
なんとも思わない他の車も、
歩いて行ったときのそれは、




「なにこの大きな金属の物体!」
くらいに感じるのだからほんとうに不思議です(笑)





たった2分くらい歩いただけでも、
その間に
きっと心身になにか大きな変化が
起きているのでしょうね(笑)





単純に、
ほんとうに清清しくて、
特に
今のようにちょっと寒いくらいの気候だと、
なおさら清清しくて、
ほんとうにスッキリするんですよね(*^^*)




今日は、
お米を買いたかったので
さすがに車で行きましたが、
やっぱりワープして行ってきた感じがします(笑)
でも不思議と
歩いて行ったときより疲労感がある。。。
車を運転するって、
近距離でも
また別のエネルギーを使うのでしょうね




歩きは
体力を使うけれど精神的にはチャージされる
車は、
体力はほとんど使わないけれど精神的に消耗する




体を使うと、
不思議と元気が出てくるような感覚を、
みなさんもきっと感じたことがあると思いますが、




気力を使うと、
なんだかグッタリ。。。みたいなことも、
感じたことありませんか?





わたしは40歳になったときに急に、
運転することがきつくなりました
ここにはできるだけエネルギーを使いたくないな、
と感じて、
必要最低限のことは、
できるだけ近距離で済ませられるように、
生活圏を小さく小さくしてゆくようにしました





必要があれば、
高速を飛ばすこともありますが(^^)、
やはりグッタリ感が後に出ます(笑)





わたしの現在住んでいる群馬県は、
車がないと
なかなか欲しいものを取りにゆくのが
大変なところなので、
まだ車を卒業することはできないのですが、
たとえは名古屋市とか、
バスも地下鉄もとても発達していて、
あぁ、車無しでも生活できそう?などと、
いろいろ考えてみたりします(*^^*)





人は、
余裕があるときには、
けっこういろいろなところに
散漫に?
エネルギーを使っているものかもしれません

若いときは特に、
気力も体力もありあまっているので、
とにかくチャレンジャーですよね(^^)




たとえば、
20~30歳は
とにかくどれだけ経験&やらかし(笑)するかが
大切なのかもしれません



そして
30歳からは、
ちょっとずつ自分の持ち味が絞れてきて、
なんとなくそれを突き詰めて行くような作業に
入っていって、
それでもまだまだ過信があったりして(笑)、
(いちばん生意気盛りという感じでしょうか(*^^*))
とかく無理をしがちな年代かもしれません





30代後半~40代は、
今度は自分のこと以上に
親のめんどうをみることにたくさんのエネルギーを使う必要がでてきり、
または結婚などによって、
やはり自分のことだけでなく、
「相手」という存在と
それはそれは大きなエネルギーを使って
関わって行くことになる(^^)
(このふたつは特に、自分の殻を打ち破り、本当の自分の力、伸びしろを?力ずくで出させてもらえる最高の項目だと思います(^^))





そしてそのふたつのことに、
自分がなんとか対応できてきて、
その竜巻のような状況も徐々に落ち着いてきた頃、
(わたしの場合は、6年くらい要しましたかね(^^))





さて、
今の自分の器、
体力、気力、
またそれらを、
できうる限りの方法でチャージをしながら、




その時の最大限のエネルギーを、
「何に使うか」
という話になってゆくのだと思います☆ミ





わたしは、
年始の記事にも書きましたが、
自分が今、世紀の(?)極限状態になったことで、
前述の、
「余裕があるときにはエネルギーを散漫に使っているものかもしれない」ということに、
やっと、気づかされました





わたしの場合は今考えると、
「自分は気が進まなくて人が求めてくれるもの」
に、
自分のほとんどのエネルギーを使い、
消耗したエネルギーをせっせとチャージし、
それをまた、
「自分は気が進まなくて人が求めてくれるもの」
に使う、
ということを繰り返していました(笑)





でもそれでも、
それができるくらい、
言ってみれば「余裕があった」のだと思います





でも今、
たとえ一時的だったとしても
極限状態に身を置くという経験をしてみると、





気が進まないことをやる余裕は
まったくなくなります(笑)
つまり
自分の人生にものすごく集中するようになります






ほんとにそれをやりたいのか、
また、
ほんとにやりたいことはほんとは何であるか、
ずっとやりたかったことは何なのか、
今が無であるなら、何を始めたいのか





それがハッキリ浮き彫りになってきます





何かを失うことを恐れているときというのは、
それを失わないための行動に集中しています
それは、
自分のやりたいことをやる人生とは別の世界に生きています
むしろ、
自分のやりたいことをやることはそれを失うこと、
と、
本来の望みを否定して蓋をして生きている場合もあります





でも、
失うものがなくなったとき、
いわば無になったとき、
人は、
ほんとうの自分の叫びが出てきます(*^^*)




これは、
そこまでにならなければ、
本気で行動しようとできなかったわたしならではの成り行きなのかもしれませんが(笑)





余談ですが、
卓球の伊藤美誠選手は、
追い込まれると
ものすごい集中力を見せる方なんです
絶体絶命、みたいな場面から、
ものすごい集中力で、
起死回生、
そのゲームを勝利してしまったりするんです





それを見ていてもやはり、
人は、
ほんとうに追い込まれたときに、
考えには及ばないエネルギーが
どこからともなく出てくるものなんだな、と
つくづく勇気づけられます





そこにどれだけエネルギーを注げるか





焦点小さく小さく莫大に注いで、
そこから生れた(あふれた)エネルギーは、
大きく大きく波紋のように広がって行く、
というような、
そういう構図が見えるようでした






たとえば元気のない友達に、
「どうしたの?」と
直接働きかける方法もあるけれど、
自分の輝く元気な姿を目の当たりにして、
そこからあふれるエネルギーの影響を受けて、
その友達が自分で自然に元気になってゆくというような、
そういう「役に立ち方」がある、ということを、
間接的に教えてもらっている気がします

先日見学させてもらった会社さんのみなさんも、
まったく同じことですね(*^^*)






それにはやはり、
その人がなによりやりたいことをやって輝いていること、
それが不可欠だな、と、
改めて思いました(*^^*)






ともあれ
歩くことの効果ってすごいですね
また、
なんだか歩いてみたい、そう思えたとき、
もうすでに、
突破口に向かっているのかもしれませんね(*^^*)




ニャンもいつも歩いてる。。。(*^^*)

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have a nice day !